公明正大、開かれた門戸
長野県現代書藝展が、第20回記念展を迎えることになった。この間、鑑別を終ったあとの審査を事実上、特別審査員として単独かつ公開でさせていただいことを大変、光栄におもうと同時に、責任の重さを改めて感じております。
わたしは、少年のころより川村既驥山先生に格別の御縁を賜り、また、父(中台青陵)の親しい友人でもありました津金崔仙先生、上條信山先生にも御厚誼を賜り、長野県の書との御緑の深さをつくづくと感じております。さらに、わたしが書学・書評論の仕事をするようになってからは、比田井天来先生、田代秋鶴先生の業績もおのずと研究するようになり、いよいよ、信州とは深いつながりを感ずるようになりました。
それで長野県現代書藝展の特別審査員の声が掛かったときには、何を置いても応援しなければならないと存じた次弟です。
第一回展の当時、顧問の西村古香先生が、もっとも年輩者でありましたが、わたし自身も今やそれに近づきつつあり感慨無量です。若き小浜大明会長、西村水穣理事長も地元をしっかり固めたうえで、中央書壇にも確固とした地歩を築くようになりました。
長野県現代書藝展は当初、漢字、少字数書(大字書)、それに宮澤梅径先生の刻字が三本柱でありましたが、近代詩文書については金子卓義先生に特別の指導をしていただき、また、前衛書では板垣洞仙先生には当初から、また近来は太田蓮紅先生、かな部へは大槻草光先生の特別の御協力を賜り、現代の書の全部門が揃って発展してきました。
また、長野という地域名がついておりますが、北は宮城をはじめ、干葉、東京、大阪、広島等々、全国各地から応募があるのは門戸が広く開かれているからです。そして、文部科学大臣賞をはじめとする賞へのチャンスがあります。人は、チャンスのあるどころへは、おのずと集まるものです。長野県現代書藝展が、こんなにも大きく発展したのは、公明正大で誰でもを受け入れる度量があったからです。
これを機に新たな発展を切に祈ってやみません。
特別審査員 田宮文平